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遍歴 その後(5)

一家離散(?)と初代JBALTECシステムの終焉


自作真空管アンプによる、3ウエイマルチシステムは、その後5年ほどホーンを替えたり、戻したり、アンプをWE91型にしたり、シンプルなSRPPドライブにしたりと小変更を繰り返したが、さしたる変化を感じる聴感力を養えず、それはそれで自己満足して聴いていた。


ミレニアムの2000年が近づき始めた頃から、仕事が多忙を極めるようになり、AUDIOシステムに灯を入れる時間が次第に減り始めた。
システムの構築に没頭している時は毎日毎日レベルの調整、ユニットの交換、はたまたアンプ、ケーブルの交換と寝る間も惜しんで励んでいた趣味であるが、いったんそれなりに落ち着くと、今までのキチガイじみた集中力が萎えてしまった。
不思議なものである。

そして、ミレニアム直前、家庭環境に大変化が起こった。

一人娘が現地の高校を卒業し、大学進学の時を迎えた。
当地は650万人を有する大都市であるが大学が3校しかない。
大部分の香港人はアメリカ、カナダ、オーストラリアまたは英国へ留学をする。
留学というとカッコいいが、成績の良い人しか現地の3校しかない大学へ入れないのである。
現地の大学に入れない人は留学するしかないのである。

うちの娘など、現地人と比べて、英語の語学力が低い(とはいえ、日本にいる学生などよりは、遥かに良い成績ではあるが・・・)ため、留学しかない。
ハワイとか、オーストラリアの大学に行ってくれれば、たまに遊びに行けるなどとバカな希望を言ってみたが、本人は日本の大学へ行きたいと言う。

考えてみれば、小学校1年生から高校3年までず~っと香港である。
日本で青春してみたいというのが娘の偽らざる気持ちであろう。

調べれば、帰国子女枠という入学制度があり、一般の日本の学生より広き門らしい。

という訳でめでたく東京、八王子のC大へ入学した。

ところが、そうなると女の子が東京のど真ん中で一人暮らしとなる。
女房殿が娘と一緒に日本へ帰るとおっしゃった。
オヤジより娘のほうが大事である。
二人は京王線のT駅にアパートを見つけそそくさと帰国した。

そうなると、今まで住んでいた3LDKでは単身赴任者には大きすぎる。
1LDKで十分ということで引越しと相成った。
そうなると一部屋占領していたAUDIOシステム、ソフト等が行き場所を失った。

折りしも熱心に聴かなくなっていた時期でもあったため、あろうことか、ほとんどを例のウーさんに引きとってもらうよう決めてしまった。
今考えればなんという愚行だったことやら・・・・・・

こうして我が初代JBALTECシステムはあえなくビンテージショップへ引き取られていったのであった。
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by jbl375jp | 2006-02-06 14:38 | Comments(0)