続・遍歴 その3

再スタート

AUDIO再スタートである。

CEC3300
McIntosh MA6500
KLIPSCH

幸いなことに当地は旧正月、時間はたっぷりある。

CDもHMVで買い込んだ。
400枚もあったCDも600枚あったLPも処分してしまった。
後悔先に立たずである。
まあーこれからボチボチ貯めていこう。

さあー、聴くぞ~。

キツイ。
何たる高域のきつさ。
ドンシャリそのものである。
ムカ~!このスピーカ、ネットワーク内蔵でレベルの調整もできない。
旧正月休みの1週間、我慢して、既製品って、こんなもんだとよ、と、納得させながら聞いていた。

ウーファーはそこそこ聞ける。 が、中域以上が浮ついている。特に高域が出すぎだ。

「ダメだ!」もう我慢の限界である。
工具箱はどこだっけ?あった、あった。自作していたころ買い集めた工具類だけはとってあった。

おもむろにスピーカのフロントグリルを外した。
次に背面のスピーカターミナル部分のネジを外し、ネットワークを取り出した。
ネットワークを覗く。
そこで、ハタと考えた。 で、どうする?ネットワークを外しては見たけど、どうしようもない。
レベル調整用のアッテネータが付いてないのであるから。

えーい、せっかくその気になったのだから、この際、徹底的に調べよう。
まず、ウーファーを外す。次はホーン、ついにはツイーター、全部外した。

情けないほどお粗末なユニットだ。
すべて軽い。
アンプもスピーカも性能は重さに比例する、が持論だった。
ネットワークもスピーカユニット-ネットワーク間の線材まで、とほほ・・・である。

今日できること、せめて内部配線くらいと、引き出しの中を探す。
BELDENのオレンジと黒のツイスト線が出てきた。
ひとまず、内部配線を全部変えた。

今度は逆の作業をする。ご苦労なことである。

アンプにつないで再度、電源ON。

重労働の後である、心なしかバランスが取れてきたか・・・そんな訳ないか。
このツイータ、何とかならないのかな~?
シンバルなんかチン、チンじゃなく、シン、シンとしか鳴らない。
ユニットを見てしまったせいか、中域が痩せて感じる。
傾向としては明るく、前に出てくる音なので好きなタイプなのだが。

「しばらく、エージングするか。」

そのまま、2ヶ月が経過した。
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# by jbl375jp | 2006-05-06 23:39 | Comments(0)

続・遍歴 その2

2005年旧正月前

スピーカを買ってしまったが、アンプもなければCDプレーヤもない。

10年ほど前、衝動的にAUDIOを始めたときに何か似ている。
でも、あの時は一応、スピーカ、プリアンプ、パワーアンプそしてCDプレーヤと一応ひと揃いすべて揃えた。

しかし、今回はスピーカのみ運び込んでしまった。
元々、買ったものはその日に使わないと、気がすまない性分である。
ズボンなどは裾上げに数日掛かるからといって、そのまま持ち帰り、自分で裾を上げてしまうほどである。

もう数日スピーカは音なしの構えである。
幸いCDプレーヤはS君の行きつけの委託販売店でCECの3300というなかなかのハイコストパフォーマンス機が手に入った。

今日こそはアンプを何とかしなければ、と、S君を誘った。
相変わらず「ホア、ホア」と、喜んで着いてくる。
ほんと、こいつ好きなんだな~と、自分のことは棚に上げてあきれてしまう。

目指すは深水歩(サンスイポー)という大昔の秋葉原電気街のような場所。
2~300m位の通りの両サイドに電気関係の部品からコンセント、ケーブル、携帯電話等々の
店が連なっており、中央部もその店の前にまた両サイドにテント店舗が連なる異様な通りである。
ここへ来れば大抵の探し物は見つかる。
中古のAUDIOショップも数件(程度を拘らなければ数十件)ある。
まず、行きつけの(と、言ってもいつも見るだけの)中古HiFiショップ「銘佳(ミンカイ)」という店で下調べ。ここでは値段の相場を把握するだけだ。
お目当てはMcIntoshのプリメインあたり。
今回は昔のように徹底的に凝る気は毛頭ない。
そこそこのCDプレーヤとプリメインで音楽が聴ければ良い。
ここにはなさそうである。
次に向かったのは、「幸運AUDIO」というラッキーそうな店。
McIntoshはあったが、C34VとMC7155のペア。
ペアでしか売らないという。
これもイマイチなのでその他を物色していた時だ、いなくなったと思っていた、S君が外から手招きしている。「隣の店にMcIntoshのSA6500というプリメインの新品がありますぜ」だと。

「よし!」勇んで隣の店へ。
この店も他の多くの店と同様でAVショップに少々HiFiを置いている、新品専門店。
見ればなるほど、McIntosh MA6500である。
新品だけにピカピカ(当たり前か・・)、その店では威風堂々としている。
が、しかし、何か違う・・・・・・ そうだ、McIntosh独特のオートトラスフォーマー(出力トランス)がないタイプだ。
聞くとトランス付はMA6800といい、ぐっと高くなるよし。当たり前だよな。

まあーこれでも良いか。
早速、S君が価格交渉。
しかし、新品の現行モデルである。
スピーカの時のように行かない。
それに今日は旧暦の12月30日、もう後がない。
今日、持って行かなければ、焦っていた。
結局それでもS君、オーナーとの丁々発止の末、15%引かせた。
今日は私のおごりでディナーである。

食事の間に梱包しておくということで食事へ行った。

こんなもの日本じゃ抱えて帰える奴などいないであろう。
S君に手伝ってもらい、めでたくお持ち帰りとなった。
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# by jbl375jp | 2006-04-06 22:42 | Comments(0)

続・遍歴

2005年の暮れ

6年ほど遠ざかっていたAUDIOだが、多忙を極めていた仕事のほうも一段落し、心と時間の余裕が出てきた頃。悪い奴との出会いから、またその道に引きずり込まれて行く。

そいつの名は香港人のS君。
会社のパートナー、V君が雇った、セールスマネージャーである。

バリバリの現代HiFi派だ。
ウイルソン・ベネッシュのスピーカ、プリはNAGRA、ゴールドムンドのパワーそしてCDプレーヤはメトロノームだそうな。
昼休みやティータイム(いまだに英国風の習慣がある)に彼の自慢話を聞いてるうちに凍結していたAUDIOのことが徐々に解凍し始めた。

「昔、結構ハマっていたんだ」
「いまは?」
「何もしてないし、もう手元に何も残っていない」
「またやったら、どうです?」
「そうだな~」
ってな調子でついつい話に乗ってしまった。

「今晩、ショップを覗きに行きませんか?」
「そうだな、覗くだけ」
さっそく二人してタクシーでモンコックという繁華街へ。

S君が案内してくれたのは「モンコック・オーディオ・センター」という香港でも老舗の大型ショップであった。
あれ?見覚えのある店だった。
確かAV中心の店だが奥にHiFiコーナーがあった。
階段を上がっていくと、やはり。 ハマっていた頃ちょくちょく顔を出した店だった。

HiFiコーナーへ直行した。
B&Wの801が鳴っていた。何故かアンプはUNISONのEL34シングルアンプ。
ひどい音だ。
まったくスピーカを駆動していない。
「ひどい音ですね」
このS君、さすがに耳は相当良い。

ん~?あれは??
B&Wの横にKLIPSCHのホーンスピーカがあるではないか?
KLIPSCH HORNという大型のホーンスピーカを作っていたアメリカのメーカだ。
まだあったんだKLIPSCHって。

30cmコーンウーファーに1インチだろう、コンプレッションドライバにラジアルホーン、ツイーターもホーン型の3ウエイだ。大きさも手頃だ。
ちょうどJBLのランサー101みたいで、ちょっとカッコよい。
こういうなんとも古臭い長方形のスピーカが昔から好きだった。

早速、視聴。
なつかしい音がする。S君には新鮮な音のようだ、目を白黒させている。
「これいいな」
「きつい音ですね」
「そこがいいんだよ」
「へ~、そんなもんですか?」

S君、「幾らか」と、店員に聞いていた。
デッドストックらしく、定価から30%引くらしい。悪くない。
香港では値切らないと損だ。
もう10%引いて、スピーカスタンドを付けたら買ってもよいという風なことを言う。
絶対に買う気を見せてはだめだ。足元を見られる。
それと、日本人は交渉してはいけない。
香港人に任せるに限る。
でもその条件は相当厳しそうだ。
こういうときは一旦引いてみる。「じゃーやめた。帰ろう」と演技をする。
「ボスに聞いてみます」店員はやる気だ。
店員はボスに聞きに言った。
「30%引いて、スタンド(これもスピーカの15%くらいの値札が付いている)をつけます」と、店員は意気揚々と言った。
「もう10%は引かないの?」「勘弁してください」、しょうがないか、と思った瞬間、「じゃ~やっぱり帰りましょう」とS君、すたすたと出口へ。残念だな~と思いつつも彼に続いた。

「まだ、脈がありますよ」とS君。TEL番号を店員に渡して出てきたという。
何という香港人の粘り。とても日本人には真似ができない。

次の日、商談で外出していたS君からTELが入った。
「やりましたよ!40%引き+スタンド付です、OKしますよ」
「うん、よろしく!」何のことはない、買ってしまった。
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# by jbl375jp | 2006-03-06 18:23 | Comments(0)

遍歴 その後(5)

一家離散(?)と初代JBALTECシステムの終焉


自作真空管アンプによる、3ウエイマルチシステムは、その後5年ほどホーンを替えたり、戻したり、アンプをWE91型にしたり、シンプルなSRPPドライブにしたりと小変更を繰り返したが、さしたる変化を感じる聴感力を養えず、それはそれで自己満足して聴いていた。


ミレニアムの2000年が近づき始めた頃から、仕事が多忙を極めるようになり、AUDIOシステムに灯を入れる時間が次第に減り始めた。
システムの構築に没頭している時は毎日毎日レベルの調整、ユニットの交換、はたまたアンプ、ケーブルの交換と寝る間も惜しんで励んでいた趣味であるが、いったんそれなりに落ち着くと、今までのキチガイじみた集中力が萎えてしまった。
不思議なものである。

そして、ミレニアム直前、家庭環境に大変化が起こった。

一人娘が現地の高校を卒業し、大学進学の時を迎えた。
当地は650万人を有する大都市であるが大学が3校しかない。
大部分の香港人はアメリカ、カナダ、オーストラリアまたは英国へ留学をする。
留学というとカッコいいが、成績の良い人しか現地の3校しかない大学へ入れないのである。
現地の大学に入れない人は留学するしかないのである。

うちの娘など、現地人と比べて、英語の語学力が低い(とはいえ、日本にいる学生などよりは、遥かに良い成績ではあるが・・・)ため、留学しかない。
ハワイとか、オーストラリアの大学に行ってくれれば、たまに遊びに行けるなどとバカな希望を言ってみたが、本人は日本の大学へ行きたいと言う。

考えてみれば、小学校1年生から高校3年までず~っと香港である。
日本で青春してみたいというのが娘の偽らざる気持ちであろう。

調べれば、帰国子女枠という入学制度があり、一般の日本の学生より広き門らしい。

という訳でめでたく東京、八王子のC大へ入学した。

ところが、そうなると女の子が東京のど真ん中で一人暮らしとなる。
女房殿が娘と一緒に日本へ帰るとおっしゃった。
オヤジより娘のほうが大事である。
二人は京王線のT駅にアパートを見つけそそくさと帰国した。

そうなると、今まで住んでいた3LDKでは単身赴任者には大きすぎる。
1LDKで十分ということで引越しと相成った。
そうなると一部屋占領していたAUDIOシステム、ソフト等が行き場所を失った。

折りしも熱心に聴かなくなっていた時期でもあったため、あろうことか、ほとんどを例のウーさんに引きとってもらうよう決めてしまった。
今考えればなんという愚行だったことやら・・・・・・

こうして我が初代JBALTECシステムはあえなくビンテージショップへ引き取られていったのであった。
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# by jbl375jp | 2006-02-06 14:38 | Comments(0)

遍歴 その4

その後、2年ほどご多分にもれず、クロスオーバー周波数、レベル、位相の正逆調整、各ユニット用パワーアンプ、プリアンプ、果てはRCA、スピーカケーブルの交換まで実によく働いた。

ソフトもこの2年ほどでCDが400枚くらいになっていた。

CD屋をあちこち覗くうち、未だに結構LPが置いてあるのが気になりだした。
何とかLPも聴きたい。
それもあのブルーノートを聞いてみたい。

ある日、商業雑居ビルの地下に小さな中古LP屋をみつけた。
香港では結構珍しいらしい。
あれこれ探していると、ついにブルーノート1500番台のオリジナル版を見つけた。
ナンバー1593番、「BLUES WALK LOU DONALDSON」であった。
他の中古と同じ値段だった。
角はこすれて、相当傷んだジャケットだったがレコード自体はまともだった。

またまた、後先考えずに買ってしまった。
いや、このときばかりは後のことも考えていたようだ。
「LPを聴こう」、と・・・・

LPプレーヤ探しが始まった。

こんな時はウーさんの出番である。

さすがに「えっ、LPプレーヤ?、何でまた?」と、いぶかしげに言われたが
向こうも商売であるから「あたってみましょう」と探してくれた。

1週間ほどたった日、ウーさんから電話。
「ガラードの301」に「SMEの3012R」が付いている、自作箱LPプルーヤが見つかったらしい。
その夜、早速ウーさんの店に顔を出すとなかなか良いではないか。
しかし、ロングアームの3012用だけに結構大柄だ。


えーい、何とかなるだろう、「これ頂きます」と持ち帰ることになった。
荷造りしながら、ウーさん「カートリッジあるの?」と聞かれて、慌ててしまった。
「いや、持ってない」、「どうするの?」「何かない?」「オルトフォンのSPU GTあるけど」
「うん、じゃー一緒に」となってしまった。
背広を買う時、一緒にワイシャツ、ネクタイを買うと結構良く合わせられる。
その要領でセットで揃えると、なかなかよさそうな塩梅である。

帰宅すると、女房殿に「今度は何を買ってきたの?」と怪訝な顔をされた。
覚悟の上であるから、すんなり「レコードプレーヤ」と、さらりと言う。
「あっそう。物好きね」と、つれないお言葉。
もう完全にお手上げ、あきれられているのであろう。

食事の時間ももどかしく、そそくさと我が部屋へ。

とりあえず机の上にセットし3012から付属のRCAケーブルでC40のPHONO入力(なつかしい響き)へ結線。
あのブルーノート1593番を慎重にジャケットから取り出す。
LPなんてレコード全盛時代もあまり扱ったことはない。
まして、LPプレーヤはガラード301、トーンアームはSMEである。
付属の取り説と昔の記憶を頼りに、ゼロバランス、オーバーハング、アンチスケーティング、針圧、等等を調整した。

そして針を恐る恐る降ろす、昔の記憶が蘇ってくる。

そして・・・・・・
「感動もの」である。
何と厚みのある深深とした音だろう。
埃やスクラッチによるノイズなんてくそ食らえってなモンだ。
そういえば、昔聞いたレコードなんて、ソノシートか45回転のEPをステレオセットに付属の
ナガオカの交換針の付いたMMカートリッジで聞いたことしかなかったっけ。

まともなLPプレーヤとアームで聞くまともなLPの初体験であった。
新たなAUDIOの世界が広がった。
良いのか、悪いのか・・・・・・知らないが、のめり込みそう、いや、もうのめりこんでいる自分が
そこにいた。

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それからは、CDそっちのけでLPを買いあさった。
ブルノートのオリジナルは見つけるのが不可能だったが、復刻版があっちこっちから出ていた。
プレステッジ、ヴァーヴ、インパルス、パブロといったレーベルは結構中古屋で手に入った。

気が付いたらCDは400枚のまま、LPは600枚ほどに増えていた。

LP主体になると音作り(というほどではないが)が変ってきた。
アンプ類は真空管式となり、それらも気に入らなくなり自作を始める始末であった。

以下にその足跡を記す。

プリアンプ 
C40→カウンターポイント→中国製(現オーディオスペースの前身)→SA5000→マランツ7T→マランツ7

パワーアンプ
ツイーター用 A20→McIntosh MC225→WE205D自作
ドライバ用   No.27→McIntosh MC240→WE300Bシングル自作
ウーファー用 No.27→McIntosh MC275→WE300Bp-p自作

自作を始めたきっかけは、近所に住むMさんという日本人の影響であった。
このMさんのスピーカは
TA4181、594+ウエスタン復刻(エルタス製)ホーンというガチンコのウエスタン派で
自作のネットワーク、自作の励磁型スピーカ用電源をこれまた自作のプリアンプ、パワーアンプで鳴らしておられた。そのパワーアンプがWE205Dという2Wにも満たないアンプであった。
300Bより厚みがあり、すばらしい音であった。

本格的AUDIOを趣味として始めてわずか2~3年、それまで詰め込んできた耳学問と僅かばかりの知識でここまで突っ走ってきた。
自分でも信じられない時間であった。

遍歴1 おわり
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# by jbl375jp | 2006-01-03 17:07 | Comments(0)

遍歴 その3

ついにマルチを始めた

とにかくはじめてのマルチアンプシステム。

3組のRCAケーブル、3組のスピーカケーブルの配線を再度確認。
2台の機器は日本から持ってきたもの、当然100V仕様、その他は現地調達なのでこれは220V(当地、香港は220Vなのだ)、1KVAの220V→100V(実測は105V)トランスも確認。

どんな音なのか?
はやる気持ちを抑えて、慎重に電源を入れる。

CDプレーヤ → プリアンプ → チャンデバー → パワーアンプ(A20) → パワーアンプ(No.27) → パワーアンプ(No.27) の順に1台ずつ、確実に・・・・・

スピーカに近づく。
「よし、ノイズはないようだ」

チャンデバのクロス・オーバー周波数を再度チェック、650Hzと7KHz、位相はすべて正相、レベルもとりあえず、すべて0dB。

CDプレーヤにCDを入れる。
いつも良く聴いているビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビー」

プレー開始。
ボリュームを上げる。

「なんじゃこりゃー???」

何と表現しようか?
グーンと伸びる低域、飛び出す中高域、第一聴はすばらしい!

But、しかしである。
ホーンから出る音のなんときついこと。

しばらく聴いていたが、とても聴いていられない。
ボリュームを絞る、ハタと考え込む。

音の鮮度は格段に高くなった。
評論家的に言えば、ベールを1~2枚剥いだとでも言うのか。
しかし各ユニットがバラバラで、まったくバランスがとれていない。

ここで、初めて気づいた。
そうだ、ウーファーの515は約97dB、ドライバ375は110dB、ツィーター075は107dBである。
ウーファー、ドライバー間は10dB以上も感度が違うのだ。
そうだ、思い出した、SS誌別冊「マルチアンプのすすめ」(だったと思う)に書いてあったではないか。

幸い、チャンデバは足元に配置してある。
中域を‐10dB、高域を‐5dBに設定し、ボリュームを上げる。

「おー!聴ける」 すばらしいではないか。

更に1dB単位でいろいろいじったが劇的な差はないようだ。
評論家やすごいマニアの方たちが言うように「指の皮一枚の差」でそんなにも変るものだろうか?

こうして、JBL、ALTEC混成3ウエイマルチシステムがスタートした。
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# by jbl375jp | 2005-12-03 15:10 | Comments(0)

遍歴 その2

いよいよマルチ

ウーさんが見つけてくれたホーンはJBLの2309/2310という、あの有名なハーツフィールドと同じ業務用バージョンだった。 何というカッコよさ!
女房殿に言わせると、こんなガラクタみたいなスピーカのどこがいいのよ、となる。
美意識の差である。
ウーファーエンクロージャーに乗った、ホーンとのなんともいえぬ面構えは見ているだけで良い音がしそうな風情である。

とりあえず、これもウーさんが用意してくれたJBLのネットワーク、LX-5で行くが、ゆくゆくはマルチアンプと決めている。
その時はツィーターの075も探さなくてはならぬ。
3ウエイ・マルチアンプに向かってもうどうにもとまらない状況へと突き進んで行った。

何という絶好のタイミングであろうか、旧正月の休みが10日ほどあり、娘が生まれてこのかたスキーなるものをしたことがないという。北海道へ行ってみようかという話が纏まりかけていた。
このとき、私の頭の中では「よし、その時に3ウエイマルチの要であるチャンデバを日本で調達しよう」という考えが固まりつつあった。

アンプのほうはいずれいるものだけに、スピーカ搬入にあわせて、これもあこがれていたMcIntoshのC40とMark LevinsonのNo.27を2台、ウーさんの知り合いの中古AUDIOショップから手に入れていた。

あとはチャンデバ、ツィーター、ツィーター用パワーアンプだけである。

もちろん、マルチアンプシステムなど初めての経験である。
真に無謀な計画である。
だが自信はあった。
知識だけは耳学問で詰め込んであった。
SS誌、MJ誌、ラジ技誌などを何年も読み漁っていたからだ。

いよいよ旧正月の休みが来た。
我が家族はまず関空へ飛んだ。そこから国内線に乗り換えて札幌へ。
私はかれこれ25年ぶり、女房殿と娘は始めての北海道であった。
折りしも札幌は雪祭りであったため、我が家族は札幌に3泊する予定を組んでいた。
初日はさすがにホテルに入るだけで何も出来なかった。
香港から持ってきたSS誌を眺めて「明日こそチャンデバを手に入れるぞ」と眠りに着いた。
なかなか寝付かれなかったのは言うまでもない。

翌日、女房殿と娘の目を盗んで札幌の町へ出かけた。
目指すは「キャビン大阪屋」という札幌とは思えぬ店名のHiFiショップである。
SS誌に出ていた住所を頼りに後は匂いで探し当てた。好き者とはそういうものである。

早速、店員さんに「フォステクスのN3000はありますか?」と切り出した。
手ごろな価格の3ウエイ専用のチャンデバである。
「すみません。在庫がなくて御取り寄せになります」と店員さん。「それならアキュフェーズのF25は?」と私。
「はあ?・・・・・・・・・・・・」と店員さん、こちらをまじまじと見て黙ってしまった。

さもありなん、である。
聞いた機種がないと分かるとその機種の5倍以上の価格の機種はあるかと言う。
「こいつ馬鹿か?」と思われたのに違いない。
こちらは大真面目である。N3000がなければF25にしようと決めていた。
当時(今でもそうだが)はカタログを見てもフォステクスのN3000かアキュフェーズのF25しか見当たらなかったからだ。手ぶらで香港へ帰る訳にはいかないのである。

「F25なら在庫ありますが」、「じゃーF25にします」、「本当にF25でよろしいんですか?」、
「はい、下さい」、やっと店員さんの顔がぱっと明るくなった。
「かしこまりました。そりゃーお客さん何たってF25のほうが断然優秀ですよ!」

こちらにとってはとにかく在庫があることが最優先である。
こうなったらこの際だと思い「A20はありますか?」、「もちろんあります」と、いうわけで、またまた後先考えず買ってしまった。札幌を出る前日の夜にホテルへ届けてもらうこととした。

これで安心して雪祭りとスキーに集中できる。
「さあ~家族サービスだあ~」、とその後の1週間は良きパパであった。

旧正月休みも明けて、075も届き、ついにすべてが揃った。
いよいよ、3ウエイマルチのスタートである。
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# by jbl375jp | 2005-11-02 20:07 | Comments(0)

遍歴 

出会い

1ヶ月位我慢して聞いていたが、何か自分の目指す方向(・・とはいえ、明確にこういう音なんてものはなかったが・・・)とは違う、おとなしすぎると感じてきた。

そんな折、スピーカケーブルとか、RCAケーブル等は職業柄(これでも昔は半導体関係のエンジニアだった)自分でケーブルと端子類を買ってきて自作していたので、通っていた部品屋街でビンテージ(と、いうか、骨董屋に近い)ショップのウーさんと知り合った。
このウーさん、ウエスタン(WE)、ALTECまたはJBL以外AUDIOではないとおっしゃる。
ガラクタ(好きな人には宝物?)だらけの店内に1組まともなエンクロージャーに入ったウファーが目に入った。
聞くとALTECの515Bという38cmのウーファーであるという。
これにホーン+ドライバを組み合わせてはどうかと、おっしゃる。
確かにB&Wの802より遥かに精悍である。ころあいにJBLの375というコンプレッションドライバなるものも、ころがっている。よし、買った、またまた後先考えぬ衝動買いであった。
できるものならこのまま担いで帰りたいが目分量でも100Kgは優に超える。
それよりなにより、現状のB&W802をどうにかしなければ、置く場所もない。
泣く泣く後日の配達を依頼して店を後にした。

翌日、同僚のマーさん(香港人には珍しい物静かな知的なかた)にB&W802、Musical Fedelityのプリ・パワー、セットでの押し売りを始めた。売りつけたい一身で買値の半額でオファーした。
結果は即決であった。
自分だけ知らなかったが、ここ香港では両ブランドはHiFiの代名詞であった。
CDプレーヤもと、粘られたが断った。こちらもCDプレーヤがなければ困る。

というわけでめでたく場所が空いた。
女房殿の留守を見計らって見事入れ替えに成功した。
名前だけは聞いていた憧れのJBL、ALTECがついに我が6畳弱のリスニングルーム(本人談)に入った。
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# by jbl375jp | 2005-10-02 18:08 | Comments(0)

始まり

悪い癖の衝動的にブログを始めた。
我流でやってるAUDIOのことを中心に進めよう、と気楽に始めた。

だが、もうスタートでつまづいている。
最初が肝心とあれこれ書き込んでは書き直し、もう何時間たつのだろう・・・・・

とりあえず、現在までのことを書いてみよう。

仕事の都合で香港に住んでいる。
もう20年以上が過ぎた。そう、中国へ返還される英国植民地時代からである。
1984年11月だったな~

1995年頃から本格的に趣味としてAUDIOを始めた。

それまでは勤めていた会社の自社製品を使っていた。「オーレックス」という今では懐かしいブランドだった。
日本を引き払う時、すべて処分してしまった。

それからもう何年もAUDIOなんて忘れていた。

何気なく立ち寄ったAUDIOショップに聞いたこともないB&Wという奇妙なデザインのスピーカがあった。聞かせてもらったところ、その音場感のすばらしさに驚いた。スピーカの少し後ろあたりに、まるで演奏者がいるが如くとはこのことであった。

確かB&W802といった。
アンプとCDプレーヤがなくてはと、一緒に買った。
アンプはこれも知らなかったが「Musical Fedelity」のC22(?忘れた)とF15という真空管とトランジスタのハイブリッド、CDプレーヤはDENONのDCD S1という重い奴だった。
何せいずれも初めての本格的セパレート型HiFiであった。

その日のうちに配達されたが、衝動買いであったため、女房殿に報告もしていない。
どこに設置するかも決めてない。とりあえずあまり使っていない一番小さな部屋に設置してもらった。
そして、待望の音だし・・・・と思ったがCDもない。
そういえば、もう何年も音楽など聴いてなかった。
慌ててCD屋を探した。
何を聴こうか? そうだ昔ちょっとかじったマイルスだ、そうだJAZZを聴こうと、マイルスを数枚とエラ・フィッツジェラルドを買った。

そして今度こそ、音だし。
ん~、そこそこいい音だ。が、店で聞いた音とは程遠い。
それからが俗に言う苦難(それが楽しいという人もいるが・・・)の始まりだった。
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# by jbl375jp | 2005-09-02 14:57 | Comments(0)